「心地よさ」から始まる、私の書くこと・生きること

書くことと、食べていくこと。その根にあるもの
「書くという行為」と「食べていくという行為」——
一見まったく違う営みに見えるこの二つには、共通して根底に流れる感情があります。
それは、「心地よさ」という感覚です。
心が静かに整い、呼吸が深くなり、自分とつながっていると感じる——
そんな「心地よさ」の中でこそ、人は真に「書ける」し、
その延長にある「生きていくための働き=食べていくこと」も
ただの労働ではなく、充足を伴ったライスワークになります。
ここでの「食べていく」は、単に食事や生活費を得ることではありません。
自分の感性や表現で社会とつながり、循環の中で豊かに在ること。
そうして得たライスワークが、やがて「生きがい」としてのライフワークに自然につながっていく——
そんな世界を、書いて食べている人たちは、見つめているのだと思います。
つまり、「書くこと」も「生きること」も、心地よさから始まるのです。
そしてその心地よさを耕す“土壌”こそが、日々の暮らしの中にあります。
書くことの土壌を耕す、11の“魂の養分”
次に挙げる11の要素は、
「書くこと」に直接的あるいは間接的に作用する、大切な“養分”です。
それはもはや、単なるチェックリストではなく、
**自分自身の「魂の地図」**とも言える存在。
なぜなら、「書いて食べていく」という営みには、
“魂で書く”ことと、“現実で稼ぐ”こと——この両輪が必要だからです。
どちらか一方だけでは進めない。
だからこそ、自分にとって何が養分となり、どんな環境が創造を支えるのかを知っておくことが、
書く人として生きる上での、深い自己理解につながっていきます。
私の11の養分:
- ひとり時間
- 静かな空間
- 好きな飲み物
- 読書
- 映画
- 京都
- 街の喧騒(人混み)
- 親子(家族)関係
- 恋愛
- 目(視力)
- 散歩
書くことで、私は今日も生きている。
心地よさという名の土を耕しながら。
そしてきっと、それは誰かの花になる。
あいみょんの歌にあります。
「焦らないでいい。いつか花束になっておくれよ」
私はこのフレーズにこれまで何度も救われました。